薬王寺は泰澄大師の創建にして、千三百年の歴史を誇る、病気平癒・厄難消除、また願い事の成就に「霊験あらたか」な御利益多き天台真盛宗のお寺です。


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薬王寺縁起

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薬王寺は、慶雲元年(704)、今から千三百年前(一説には天平宝字3年(760)とも言われております。)越(えつ)の国(今の北陸地方)の高僧「泰澄大師(たいちょうだいし)」が、この地の城山と言う山の麓の布山台地薬師谷に、 霊験によって薬師堂一宇を建立したのが始まりと伝えられております。
その後、台地下の海辺、現在の場所に移設しました。 もともとは真言宗系に属していたのですが、 明応2年(1493)三十世の住僧「快須法師」が「圓戒国師 真盛上人」 越の国、巡錫の折、その御教えに感銘し、帰依して天台律宗に改宗することとなりました。 そのとき快須法師は真盛上人より法号「盛学」を賜り、寺号「薬王寺」を授けられ、本尊は阿弥陀如来となり、薬師如来は、境内にあった薬師神社に祀られる事となりました。 (現在の神社名は、村社「医王神社」です。)
しかしこの薬師如来さま、さすが泰澄大師の御霊験だけあってこれ以降もこの地で病気平癒を祈れば その利益にあずからない者はいなかったと言い伝えられており、いつの日からか、この如来さまのことを「祈れば必ずご利益を下さる薬師さま」、「ごりやく薬師さま」と人々が呼ぶようになりました。
今でも本堂内に残っておられます「薬師如来お前立ちさま」の御前には、病気平癒や厄災消除を願う人たちの祈りの声が日本各地より日々集まっております。

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宗祖 真盛上人(1443〜1495)

宗祖 円戒(えんかい)国師 慈摂(じしょう)大師 真盛 (しんせい)上人は、伊勢国一志郡小倭荘大仰の里(今の三重県一志郡一志町大字大仰)にて出生。「紀 貫之」の一族で14歳で出家、19歳の時に比叡山に上り慶秀和尚に師事、20年間山に籠もられ天台の学問を究められました。当時は応仁・文明の乱が続く下克上の時代でしたが、上人は教化指導者として深く内省せられ、文明14年黒谷青龍寺に入り日課六万辺の称名念仏を修め、社会の秩序を正し世人に安心立命を与えるには、道義を強調する円戒と弥陀本願の念仏以外には無いことを悟られ、文明15年(1483)西教寺に入寺し朝廷・公家・武士・庶民へ持戒と念仏の布教を行われ、西教寺を戒称二門不断念仏の根本道場とされました。以来、その足跡は江州・越前・伊賀・伊勢を中心に広がり民衆の信仰を集めるところとなりました。
室町時代の明応4年(1495)伊賀西蓮寺にて病に倒れ、無欲清浄専勤念仏を遺誠として、53歳で遷化されました。

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 ■ 宗祖 真盛上人 御影

泰澄大師について…

泰澄大師は飛鳥時代(7世紀末)、越前国麻生津(現 福井市三十八社町 泰澄寺)に生まれました。神童といわれた大師は14才の時、夢のお告げで越知山に上り、苦行難行の7年後、21才の時ついに仏の教えを悟ったといいます。
泰澄大師の事跡としては、この名声は都まで届き、朝廷は鎮護国家法師に任じました。
その後、36才の時、2人の弟子、臥(ふせり)行者・浄定(きよさだ)行者と共に霊峰白山を開いたとされています。
養老7年(722年)、元正天皇のご病気を祈祷によって平癒したことにより、神融禅師の号を賜わりました。
天平2年(730年)一切経を写経し法隆寺に納めました。これは、宮内庁図書寮に現存しています。
天平9年(737年)、全国に疱瘡が流行し、勅名により祈願を行い疫病を終息させました。このとき、天皇から大和尚位を授けられ、「泰澄」の尊号を賜わりました。
神護景雲元年(767年)越知山に戻った泰澄大師は、釈迦堂の仙窟に座禅を組まれたまま86歳で遷化されたと伝えられています。


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